『記念日』を祝うというのは愚行なんじゃないか説。
記念日を祝うというのは、
愚行なんじゃないか説を提唱してみる。
なぜなら明日は、
断舎利フェスの対象となっている
「大切な人との記念日」にも関わらず、
なかなか断舎る覚悟ができないでいるからだ。
というわけで、早速考えてみる。
超絶に素晴らしい出来事があったとして、
それに伴って「○月×日は△□記念日!」
と宣言することにどれだけの意味があるのか。
例えば「結婚記念日」。
「結婚」というのは、
結婚したその日が祝うべき時なのであり、
それ以降に「記念日」を作って
また祝うことは意味をなさない。
なぜならその日は「結婚した日」ではないから。
なのにうっかり人生のカレンダーに刻んでしまうと、
うれしかった想いはその日をピークに廃れていき、
周りからの祝福ムードなんてとっくに消滅しているのに、
でもその一方で忘れることは決して許されず、
惰性や義務で一生祝い続けなければならなるという、
ただの「地獄日」と化すんじゃなじゃなかろうか。
誕生日も同じ。
歳を数える上で覚えておくという意味では、
他のイベントより「記念日化」させる意味はありそうだけど、
だからと言って祝う必要は全くない。
どうしても祝いたいなら。
親に感謝の言葉を述べるにとどめるぐらいが
いいんじゃねえの?って思う。
だってその日に産んだのって親だし。
なので、
好きな人との「初めて○○した記念日♪」
「今日が付き合い始めた日ね(はーと)」
なんてものは、地獄日の始まりでしかないので、
当日にキャッキャしたら後はとっとと忘れるべきなのだ。
つーかお互いが一緒にいたくて、
ずーっといることができるんだったら、
記念日なんかなくても
祝いたいぐらい楽しい事が
定期的にいくらでも起こるだろ。
そういう輩はその都度祝ってろや!
この幸せさんめ!
というわけで、
「記念日」いらない説
今日からこの文章を自分の「忘れたい記念日」ごとに読み返し、
自分の心の中から断舎利するためのステップとしよう。
うん、そうしよう。